江戸時代には、苗木の城下(現中津川市)と木曽川の黒瀬湊(現加茂郡八百津町)を結ぶ最も重要な幹線道路が地区内を通っていました。苗木藩主も京都への道として利用し、幕府の巡見使もこの街道を通って中野方村に宿泊しました。また、黒瀬湊に到着する生活必需品や生活道具は、この道とそこから枝分かれする道を通って苗木領の村々へ運ばれ、逆に村々の生産品は、それぞれの道から黒瀬街道を通じて黒瀬湊へ運ばれ、船に積まれて犬山、笠松、一宮、桑名、四日市などへ送られました。
坂折川には6ヶ所の水車小屋があり、精米や製粉に利用されていました。経済状況の変化と水量の減少などにより、その役割を終えました。現在残っている水車小屋は、昔の精米方法を伝えるために復元しました。
なごみの家の前の田に、自然石の上に小さな三角錐状の石を置いて田の神様を祀っています。田植えが終わるとお供えをして無事に終わったことを報告し、秋の豊作を祈りました。恵那市坂折棚田保存会では、6月に田の神祭りを行っています。
表面にいくつかある盃状のくぼみとそれらを結ぶ溝状のくぼみの文様が刻まれた大岩。岩の表面に水を流して、雨乞いの祈りや豊作を占ったと言われています。
権現山の麓にある前社。江戸時代に創建され、蔵王大権現として坂折の人々から信仰を集めています。鳥居をくぐると左右に灯籠が立ち、本殿に通じます。境内はスギの巨木に囲まれ、「権現の大杉」として知られています。笠置神社の遥拝所がひっそり佇んでいます。
坂折地区を見下ろす権現山の頂上近くにある本社。戦国時代に、大和から坂折へ移住してきた小池忠兵衛・同喜三郎兄弟が、黒瀬街道近くの小さい祠に祀っていた故郷の産土神である蔵王大権現を山頂に移したという伝承があります。
上権現神社から約20分のところには、山伏岩と呼ばれる巨岩が露出しており、ここから坂折棚田を一望の下に見下ろすことができます。山伏岩の周りには、むしろ岩、こだま岩など、名前の付いた岩がたくさんあります。