坂折棚田の概要

坂折棚田は

 江戸時代初期からつくられた400年の歴史がある棚田で、明治時代初期にはほぼ現在の景観が形成されました。特に石積みの技術の高さに特徴があり、名古屋城の石垣を築いた石工集団「黒鍬(くろくわ)」と呼ばれた職人たちによって美しい石積みが造られました。民家が近いのも特徴で里山の懐かしい風景が楽しめます。
 棚田の中を流れる坂折川上流部には、希少な植物が生育する湿地があり、豊かな水源を育んでいます。この水源地からの湧水が豊富に棚田に供給されます。冷たい湧水が直接田んぼに入らないように「手畦(てあぜ)」と呼ばれる小水路をつくったり、暗渠や清水口と呼ばれる鳥居が他の石組を作り地下水を巧みに用水に利用しています。
 先人の知恵特筆長年かけて築きあげてきたましたが、高齢化や担い手不足などにより維持が難しくなる中、地元の人々が話し合いをして、いっさい形状に手をつけないで保全する田んぼと耕作しやすいように農道を整備したり圃場整備をして大型農業機械が入れる田んぼと果樹や、野菜に転作する田んぼのゾーニングを景観を損なわないように整備してきました。その取り組みも踏まえ1999年7月に農林水産省の「日本の棚田百選」に認定され、2003年には、第9回全国棚田サミットの開催地となり、全国に認知されるようになりました。
※日本棚田百選:日本の原風景として棚田を残すために、農林水産省によって選ばれた優れた棚田。農業生産の場だけでなく、農村の美しい風景の形成、伝統・文化の継承など多面的な機能がある棚田が認定されます。

 

坂折棚田の特徴

●大部分の水田が江戸時代にできました
●石積みの美しい棚田が広がっています
●一枚の水田面積は棚田としては広いです
●水温が低い湧水が豊富にあります
●手畦や清水口や暗渠がたくさんあります
●多くの田で米と麦の二毛作ができました
●木や竹の桶(現在はパイプ)を多く使っています
●人家が棚田の周囲に点在しています

 

坂折棚田基本情報

敷地面積 19.0ヘクタール
棚田面積 14.2ヘクタール(1997年恵那市調査結果)
棚田の標高 410m〜610m
棚田の枚数 360枚(2003年3月現在)
棚田所有農家戸数 36戸(不在農家4戸)
棚田の傾斜 1/4〜1/7
棚田の区画 平均7アール
石垣の高さ 平均2.3m

 

坂折棚田の位置

中野方町は

恵那市の北部に位置し、木曽川流域の盆地に発達した村落で、盆地の周辺には標高1127.9メートルの笠置山をはじめ、権現・高峰・見行など800 メートル前後の山々をめぐらし、中央を中野方川が貫流している自然豊かなまちです。人口は1,557人。世帯数は543戸(平成30年3月1日データ)の農村、山村、中山間地です。

 
 

笠周(りっしゅう)地域とは

笠は笠置山、周は周辺即ち笠置山の周辺のことで、笠置町・中野方町・飯地町の3つの町です。笠周地区は美濃飛騨山地の南端部にあたり、その端を区切るように木曽川が東西に流れています。地区のほぼ中央部を南北に赤河断層が縦断しているため中野方地区を流れる中野方川は、橋立付近でこの断層崖にぶつかり、流れは直角に折れて南下し木曽川に注いでいます。

 

恵那市

恵那市は名古屋市の中心部からおよそ60キロメートル、岐阜県南東部に位置し、愛知県と長野県に隣接した、山紫水明の豊かな自然に恵まれた地域です。
 2004年旧恵那市と恵那郡の5つの町村(岩村町、山岡町、明智町、串原村、上矢作町)が新設合併し、新恵那市として誕生しました。

 

 

笠周地域と坂折棚田

笠置山

恵那市で一番高い山(標高1,128m)であり、山頂から眺める景色は絶景で、恵那市内や中央アルプス、晴れた日には遠く伊勢湾まで一望できるほどです。 また、山中には「ピラミッド・ストーン」や「ペトログラフ(古代岩刻文字)」などの遺跡や、国の天然記念物「ヒトツバタゴ」、「ヒカリゴケ」などの珍しく貴重な植物も見ることができ、登山にもおすすめです。南側にはフリークライミングエリアも整備されています。

 

笠置神社

笠置神社の創建は平安時代の寛和2年(986)、花山上皇が仏門に入り巡錫で当地を訪れた際、笠置山を霊地と悟り、山頂に社を設けたのが始まりとされます。古くから雨乞いの神として信仰されてきた神社で、雨乞いの際には鎌を奉納し祈願したとされ、笠置山山頂に本社(奥社)、麓には前社(下社)が鎮座しています。笠置山は古くから知られた存在で花山上皇が「眺めつつ笠置く山と名づけしは、これも笠置のしるしなりけり」と歌ったとされます。山頂の奥社付近には数多くの巨石怪石が存在しているところから古代の祭祀場だったと推定され中には古代岩刻文字(ペトログラフ)が刻まれているものもあるそうです。祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命、天児屋根命、火産霊命、水分神、誉田別神。

 

中野方ダム

2005年度に完成した木曽川水系の中野方川にある多目的ダム。洪水調節・農地防災・不特定用水・河川維持用水・上水道用水を目的に建設され、2005年竣工しました。堤高41.7m、堤頂長390m、堤体積139000平方キロメートルの重力式コンクリートダムで、岐阜県営のダムとして中野方地区の治水・水源利用としての重要な役割を持っています。黒瀬街道沿いのダム湖の周囲は、1 周は1.1kmのジョギングコースになっています。

 

不動滝

県道68号を市街から進んで中野方に入ったすぐのところにあります。上下2段に分かれて流れる滝の落差は約10メートル、笠置山からの清らかで豊富な水がその美しい造形をつくりだしています。不動尊が建立されており、多くの参拝客が訪れています。近くには「不動滝やさいの会」が運営する農産物直売所があり、とれたての地元野菜や、漬物などの特産品が販売されています。

 

飯地高原

恵那市の北西部に位置し、平均的な標高が約600mの高原エリア。民俗資料館では地元で収集した古生活物品などが展示されています。古くから歌舞伎がさかんであり、芝居小屋「五毛座」では地域の子どもと保存会による地歌舞伎公演が隔年で開催されています。飯地高原自然テント村は、大自然の中でウォーキングにマレットゴルフ、夜空いっぱいに輝く星を眺めることができるオートキャンプをメインとしたキャンプ場です。

 

笠置峡

笠置ダムによって形成された湖の笠置峡は、霧の発生しやすいV字峡の地形で、水墨画のような穏やかな渓谷美を誇っています。湖畔の桜と谷あいの湖面に映える秋の紅葉は有名です。

 

栃久保棚田

【棚田の特徴】江戸時代の中期から棚田作りが始められ、昭和の初期に今の形の棚田が形成されました。棚田の美しい石積みは数名の石工が毎年手入れをして、昔のままに息づいており、訪れるものを圧倒します。そして棚田の眼下に流れる木曽川に風情を感じることができ、古き良き故郷を思わせる場所です。
またこの地域では。棚田による水稲の他に、急斜面は畑として茶と柚子を栽培しており地域の特徴となっています。
「ぎふの棚田21選」2009年/平成21年2月認定

【位置】恵那市笠置町河合(字栃久保)
【棚田面積】4ha
【棚田枚数】80枚
【管理戸数】10戸
【集落戸数】14戸
(2011年/平成23年3月現在)

 

恵那峡

「恵那峡」という名前は、大正9年、世界的に有名な地理学者・志賀重昂氏によって命名されたもので、その後多くの文人、文化人に愛される場所となり、公園内には記念碑も残されています。ダム湖右岸の「さざなみ公園」には園内を周遊する散策路があり、湖面を背景に桜、藤、ヤマツツジと四季折々の自然が楽しめます。土産物屋街の乗船場からは、渓谷を巡る遊覧船が発着し、ダム以前の急流を彷彿させる湖畔の奇岩や絶壁が観覧できます。春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は水鳥が多く集まり、四季を通じて様々な景観を堪能できます。旅の疲れを癒す天然温泉は、身体に染み入る良湯といわれます。

 

大井ダム

恵那市大井町と中津川市蛭川境の木曽川に築かれた日本初の発電用ダムです。日本の電力王・福沢桃介(福沢諭吉の娘婿)が、関西電力の前身の大同電力社長として、1924(大正13)年に建設しました。木曽節で「男伊達ならあの木曽川の流れ来る水とめてみよ」と歌われるほど、激流の木曽川本流を最初に締め切った大規模ダムで、高さ53.4メートル・堤長258メートルは、完成当事東洋一の規模を誇りました。
 空前の大工事は、莫大な資金の調達、大洪水による工事のやり直しなど困難の連続で、建設に携わった人は146万人。完成によって上流に恵那峡を形成し、ダム湖百選にも選定され、2007(平成19)年には経済産業省の近代化産業遺産に認定されました。
 80年以上たった現在でも、最大出力8万4,000キロワットの電力を供給し続けています。

 

施設

【なごみの家】

坂折棚田のインフォメーションセンターである都市農村交流施設「棚田なごみの家」は、棚田のほぼ中央にあります。
木造平屋建てで、恵那市坂折棚田保存会事務所、二つの会議室にトイレ、男女シャワー室、食堂・売店(お茶番処)、ウッドデッキ、駐車場(棚田広場)などが設けられています。
会議室は有料にて一般の方も利用できます。

 

【展望広場】

なごみの家の西側には、棚田を一望できる展望広場があり、東屋、多目的トイレ、駐車場があります。ここから望む景色は絶景で、思わず写真を撮りたくなります。

 

【ビオトープ】

棚田に生きる生物の保全を目的に、休耕田を利用して2007年から坂折川沿いにビオトープづくりを行っています。ヤマアカガエル、トンボ、ドジョウなどが集まっています。中野方町のこども園、小学校低学年を対象に「こどもビオトープ観察会」を開催しています。

 

【水車小屋】

むかし坂折川には6カ所に水車小屋があり、精米や製粉に利用されていました。1961年ごろ経済状況の変化と水量の減少などにより、その回転を中止しました。現在ある水車小屋は昔の精米方法を伝えるために復元されたものです。

 

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